どうしてこうなっちゃったんだろう。

知らなかった。


子供が生まれるっていうのは、
誰も彼もからも、拍手喝采で迎え入れられるってことを。


手足のバタつき一つとっては、どのスポーツが向いているかと思いを馳せ、
目鼻立ち一つとっては、将来のジゴロ具合を心配され、
親はそんな風に明るい未来のみを胸に、生活の全てとばかりに育てあげる。

もちろん私もそう育てられてきた訳で、
にも関わらず、現在の自分、現状の自分があるかと思うと、
慙愧に堪えないよね、全くもって。

どこかできいた話。

バイオリンじゃなくて、どこかの話ではトランペットなんだろうけれど。
黒人少年がショーウインドウの中に羨望の眼差しを向けていたとしても。

私はきっと、
トランペットの逸話が胸をよぎり
黒人少年のこと気にかけながらも
私は自分のことで大変なんだ、と
言い訳しながら通り過ぎるだろう。

笑顔の本。

あそこに乗っている人たちは
必ず誰かと一緒に乗っていて、
みんな笑顔なんだろうな。

facebookなんてありますが、当たり前のことなんだけれども、
みんな生きていれば酸いも甘いもある訳で、それでもなお甘いことしか書いていない。
つらつらと流し見していると、あまりにも笑顔な話題ばかりで
リア充の巣窟にしか見えないんだよ(・ω・`)

ここではない、どこかへ

子供のままでは生きていけない、と。

どこか遠くにフラリと行ってみたいです。


やや、やれ結婚式だ、やれ研修だ、で遠方に足を運ぶ予定はあるんですが、
そうじゃない。
そうじゃないんです。

うまく笑うことができない。

昨年の大晦日に、ダウンタウンのガキ使、笑ってはいけない熱血教師が放送されてましたが、
教師とは名ばかりに、大半が江戸時代でしたね。


ということで、舞台の日光江戸村の写真でも。
(一昨年くらいに撮った写真のような・・・)


年を取ると骨が脆くなり、くしゃみをしただけでも肋骨が折れるなんて話を聞いたことがあり、
そんなまさかの与太話、ハハハこやつめハハハとか思っていたら
先日くしゃみをしてから胸が痛いです(´・ω・`)


笑うとホントに痛い。
笑ってはいけない。

何の為に生まれて、何をして生きるのか。


高野山奥の院への参道での写真です。


高野の方いわく、奥の院は日中でも独特な空気が漂うが、夜はまた装いを変えるそうです。
聖地だからとか、お墓だからとか、そんな超科学的な話ではなく、
夜な夜な参道をひたすら往復する人、
白衣で水浴びをする人、
五寸釘を持ち奇声をあげる人、
そんな方が時折いらっしゃるとかなんとか。


生きている人のほうが怖いっていう話(・∀・;)

視線の高さ。

新しいカメラでの写真があまりない(出かけていない)ので、
昔のカメラとの思い出でも引っ張り出してみる。


横浜の山手地区、西洋館の写真。(どの館かは忘れた)

子供の頃は身の回りのもの全てが、自分の身の丈より高かったな。